Wednesday, July 08, 2026

先月、マーケティングの第一人者、ラッセル・ブランソンが開催する講座に参加するために、アメリカアイダホ州のボイジーへ行ってきました。
講座の初日、ラッセル・ブランソンから「ソフトウェアを作りなさい」という宿題が出ました。
ホテルに戻ってからラウンジで作って、もう遅いからと解散した後も、私は部屋に戻ってひとり作り続けていました。夢中になってしまって、気づいたら朝の6時。「少しだけ寝れるかな」と思って目を閉じたら、目覚ましが鳴ったことにも気づかず、そのまま寝坊してしまいました。
慌てて準備をして、急いで横断歩道を渡ろうとした瞬間、左側から来た車に撥ねられてしまいました。気づいたら地面に倒れていたんです。
周りに車は止まっていなかったから、きっとはねられた勢いで飛ばされたんだと思います。駆け寄ってきてくれたのは、事故を起こした後続の車から見ていた女性でした。「大丈夫?」「私は〇〇よ」って声をかけて起こしてくれて、すぐに救急車とパトカーのサイレンが聞こえてきました。「まずいことになってしまったな。どうしよう。痛いよう」と思っていたら、もうひとり、赤ちゃんを抱っこした若いお母さんが近づいてこられました。そして震える声で「ごめんなさい。前を向いていて、見ていなかった。見えていなかった」と何度も謝ってくれていました。私も前しか見ていなかったから、左右を見てから渡ってはいなかった。でも、横断歩道で、しかも青信号で渡っていたのに……。
救急車で救急隊員と話をしている間、外では警官と事故を起こした女性が話しているようでした。私はアメリカの医療費は高いと聞いていたので、正直「夢であってほしい」って思いました。でも歩こうとして、歩けなかった。結局、救急車で病院に行くことになりました。
病院に着くと、着ていたTシャツや下着をハサミで切られて、ズボンと靴下、パンツまではぎ取られ、裸にされ全身をチェックされました。

後で撮った、切り裂かれたTシャツの写真です。これを着ていた私が、今こうしてまだ動けている。それだけでも、ちょっと感慨深いです。
病院にいる間、驚いたのが無料で日本語通訳がついてくれたことでした。海外で言葉の不安を抱えているとき、日本語で話せる人がそばにいてくれるだけで、ほっとしました。簡易的な最初の診断は、打撲と、傷が1箇所で2針縫うくらい。先生が「大丈夫。今日はシャワーも浴びられますよ」と言ってくれて、少しほっとしました。でも立とうとしても、立てなかった。レントゲンも撮ったけれど「骨は折れない」と言われ、「日本で詳しく見てもらうといいですよ」と送り出されました。

先生に年齢を言ったら、「見えない〜」って驚かれていたので、「何歳に見えますか?」って聞いたら「30代」って言ってくれて。にやっと笑顔になった時の写真です。
薬局に行くのを手伝ってくれた看護学生の男の子が日本のアニメが好きだと言っていて、「タトゥーがあるんだ」って見せてくれたら、金太郎で。

海外で、痛くて、不安で、服も全部切られて。そんな中で日本のアニメと金太郎のタトゥーが目の前にあるのがなんだか不思議で、ちょっと笑ってしまいました。
事故の翌日は、本当は観光するはずだったフリータイムでしたが、私は一人ホテルの部屋で休んでいました。Facebookで見つけた日本人コミュニティのグループにメッセージを送ったところ、親切な方が車で迎えに来てくださり、膝や腕を診てくださいました。包帯を巻いて患部を細かくチェックしていただくうちに、気持ちがすっと軽くなり、体も軽くなっていくのを感じました。

しかし、日本に帰国して精密検査を終えた時、その診断は、想像していたよりずっと重いものでした。
「膝の十字靭帯、および内側側副靭帯の断裂。肋骨骨折」
これまでの人生で経験したことのないほどの大怪我。激しい痛みと、思うように動かない身体を前に、私の心は折れそうになりました。動かない脚を前に不安な気持ちに押しつぶされそうになった瞬間、私の脳裏に蘇ったのは、私が師事した世界的なジャズダンスの生みの親、ルイジ(Luigi)師匠の姿でした。
彼もまた、全盛期に凄惨な交通事故に遭い、医師からは「もう二度と踊れない」と宣告された人でした。それでも彼は諦めず、麻痺した身体の中で、まずは片方の眼球を動かすリハビリから始め、「これが私のダンスだ」と言って再び踊り始めました。その結果、奇跡の復活を遂げ、独自のルイジ・ジャズダンス・スタイルを世界中に広めたのです。
師匠が遺した、私の魂に深く刻まれている言葉があります。
身体が傷つき、どんなに困難な状況にあっても、前に進むことを諦めてはならない。その言葉が、ベッドの上の私を突き動かしました。プレイヤーとして今まで通りに踊れなくなったのなら、私は別の方法で動き続け、価値を生み出し続ければいい。私自身が立ち止まる理由は、どこにもありませんでした。
今回の事故は災難ではありましたが、それと同時に、私は「自分はなんて恵まれていたんだろう」と思ったんです。私はこの年まで、立って、歩いて、抱っこできて、踊ってこれた。それだけで、本当は当たり前じゃなかったんだって。
今、この記事を読んでくださっているあなただって同じんです。今、お子さんに抱きしめられて、その小さな体が温かく、お互いの温もりを感じ合えるその時間は、明日も続くとは限らない。私は19年間、ベビーダンスをやってきました。その間、ずっと踊り続けられることが、抱っこできることが当たり前だと思ってきました。でも今回、それが当たり前じゃなかったことに気づかされました。今、お子さんを抱っこできること、一緒にステップを踏めること、それは、今しかできないことなんです。
いつも応援してくださる皆様、そして自治体の関係者の皆様、クライアントの皆様。私のこの怪我により、しばらくの間、直接1人で現場に伺うことが難しくなってしまったこと、深くお詫び申し上げます。ですが、どうぞご安心ください。
今後は、私とアシスタントの二人三脚のチームとなって講座を盛り上げてまいります。また、場合によっては私が全幅の信頼を置く、キャリアと実績を兼ね備えた優秀な認定インストラクターが現場の担当を引き継がせていただきます。講座に穴を開けるようなことは絶対にいたしません。
私が動けない今だからこそ、信頼できる仲間たちの力を借り、素晴らしいインストラクターたちを輝かせながら、チームでベビーダンスをお伝えしていく。そんな新しいフェーズに、私たちの協会も一歩進むことができました。みんな、本当にありがとう。
実は今、ラッセル・ブランソンさんから、さらに濃い2日間を学ぶために、再びボイジーにいます。膝はまだ痛いし、靭帯も切れたまま、肋骨もまだ折れたまま。それでも、ベビーダンスが19年間を数え、次世代に手渡す準備をするために行ってきます。
ラッセルは、著書の『DotCom Secrets』の中でこう言っています。「あなたの哲学を売れ。商品ではなく、哲学を売れ」と。そうなのです。私が手渡したいのは、踊り方のノウハウ講座ではないんです。人と人との非言語でのコミュニケーションや会話のやり取りが生まれる時間と空間なんです。
これからの未来を生きる人々のためのマインドと身体の軸を調律する、新しいソフトウェアとシステムを構築するためクリックファネルの本社を訪問するために、再びこのアメリカ・ボイジの地に立っています。明後日からの2日間に、すべてを注いで臨んできます。
ルイジ師匠の言葉通り、私は絶対に立ち止まりません。これからの私の新しい挑戦を、どうか温かく見守っていただけたら嬉しいです。


ベビーダンス考案者
一般社団法人日本ベビーダンス協会 代表理事。ユネスコ国際ダンス会議(CID)公認・小児科医監修のベビーダンスを考案。著書『ママと赤ちゃんの心と体に効くベビーダンス』(PHP研究所)。全国でベビーダンスを届け続けている。
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